プロフィール

本サイト「寄り道BASE」の運営者、「寄り道」のプロフィールです。

基本情報

✔名前:寄り道(よりみち)
✔年齢:1989年2月生まれ
✔出身地:千葉生まれ東京育ち
✔職業:金融関係

寄り道のキャッチフレーズ

  • カバーガラスのハート
    カバーガラスご存知でしょうか?理科の顕微鏡の実験で使ったプレパラート。スライドガラスの上に載せるあのうっすいガラスのことです。そうです、とにかくハートが割れやすい。
  • 正す襟がない
    「肩ひじ張る」とか、「襟を正す」とか堅苦しいのが苦手です。おおらかに、自然体に生きていたい。
  • 安定してムラがある
    妻によく言われます。感情のムラが安定してあるそうです。

趣味・特技

趣味

  • 焚き火
    火吹き棒でフーフーしながら火を育てるのが好き。
  • 読書
    気づくと年間100冊読んでる。常に何かしら知識を吸収していたい。ビジネス系だと山口周/澤円、小説は伊坂幸太郎/荻原浩/森見登美彦が好き。
  • 筋トレ
    水曜日と金曜日にYouTubeを見ながら腕立てしてます。最近はアブローラーも始めました。
  • サウナ(温泉)
    週に1回のサウナが何よりも楽しみ。
  • お金の情報収集
    気づくとお金のお得情報を探しています。クレジットカードやポイ活も大好き。貯めたマイルで家族を連れて2回宮古島に行きました!

特技

  • トンボをつかまえること
    これたぶん本能なんだと思うんですが、トンボを見ると放っておけません。

好き・嫌い

好き

  • チキン南蛮
    「タルタルソース」という響きだけでゴキゲンに。
  • 家系ラーメン
    移住して唯一の不満が吉野家に行けないこと。
  • ガジェット
    ミニマリストにあこがれて、気づくと物が増えているタイプ。
  • Jason Mraz
    彼になら抱かれてもいい。そう、I’m yours.

嫌い

  • 高所
    あらやだ、産まれたての小鹿のようになってしまいます。
  • 傘を地面と平行に持って歩く人
    危ないからね。世界が優しいものでありますように。

寄り道のキーワード

寄り道からメッセージ

これまでの人生、色々と寄り道をしてきた。
寄り道をした先で迷子になってしまったり、寄り道をした先が「けもの道」で、すかさず回り道をしたり。

正直、歩くのに疲れてしまって、その場にへたり込んでしまったこともある。

でも振り返ってみても、人生で大切なことはすべて寄り道で学んだ。
寄り道先での未知との遭遇が、その後の僕の人生を方向づけてくれた。

その人がしてきた寄り道が、その人をかたちづくっている。
No 寄り道、No Life.

長い人生、寄り道しても大丈夫。
このブログが、皆さんにとっての寄り道の”秘密基地”になりますように。

【もっと詳しく知りたい人向け】寄り道の半生

少し長いですが、恥ずかしいことも、本当は秘密にしておきたいことも書いてあります。
「もう少しあなたのことが知りたい」と思ってしまった物好きな貴方、そうあなたです。寄り道の半生にお立ち寄りください。

誕生|産まれてすぐの入院・手術

1989年、千葉県成田市に長男として誕生。
父は空港関係(空飛ばない系)の会社員、母は専業主婦、3歳下の弟がいる。

定期健診で「神経芽細胞腫(小児がん)」の疑いにより千葉の大学病院に入院。
手術により一命をとりとめる
その後、2歳まで入院生活を送る。

幼稚園|あいさつで迷子になる

小さいときからどこか抜けているところがあったようで、
幼稚園バスに乗るときに、「おはようございます」ではなく、「いただきまぁぁぁああす!!」と言って乗車したことがあるそう。

小学校|光と影

虫取り網をもって昆虫を捕まえるのが好きだった。
捕まえた昆虫について、昆虫図鑑で調べるのが好きで、学校では「昆虫博士」と呼ばれていた。

もう一つ触れておかなければいけない話がある。
僕が小学校2年生になったぐらいから、父親が会社を休みがちになっていた。
どちらが先かわからないが、うつ病とアル中を患っていた。
会社を休んでパチンコに行き、負けて帰ってきて酒を飲む。
僕や弟、母が少しでも気に障る言動をすると、怒鳴る、殴る、追いかけまわす。

父が会社を辞める可能性が出てきたということで、母がパートを始めた。
母が家にいないと、父の弱さの矛先は僕や弟に向けられた。
理由までは思い出せないけど、父の機嫌を損ねた僕は、お風呂に追い詰められた。
逃げ場のないお風呂で、全身をつねられた。腕と太ももにはたくさんの青あざ。
僕らが寝たあとに帰ってくる母親にそのことに気づいてほしくて、冬なのにパンツ一丁で寝た。
でも気づいてもらえなかった。

中学校|最初で最後の○○期到来⁉

中学校ではバレーボール部に入った。
母親がママさんバレーをやっている姿を見て、おもしろそうだと思ったからだ。
2年生がおらず、3年生引退後はすぐに自分たちの代になった。
そこでなんとキャプテンに任命される。持ち前の責任感に押しつぶされ、教室でプチ暴力事件を起こす。

自分で言うのもあれだけど、優等生キャラでした。
バレー部キャプテン×学級委員×勉強そこそこ=モテ期。

そんなこんなで同級生、後輩含めて10人に告白された。
しかし、いわゆるオイシイ思いをすることはできなかった。
もちろん女の子に興味はあったし、性欲とイマジネーションも爆発していた。(その証拠に、エ○本を探しにママチャリに乗って近所の複数の公園に定期的にパトロールに行っていた。なぜか雨の日の翌日は、公園のゴミ箱にたくさんエ○本が捨ててあった。)

好きな子に告白してもらっても、「いまは彼女が欲しくない」とか言っちゃって、お断りしたかと思うと、半年後にこっちから告白してフラれると、「告白したことみんなに黙ってて」とか言っちゃうもんだからダサすぎていま振り返るだけで悪寒がする。

何が起こっていたのか?
怖かったのだ。
優等生キャラな自分が未知の恋愛に踏み出すことで醜態を晒すことを恐れていた。

僕は中学時代を総括してこう呼んでいる。
モテ期の無駄遣い」と。

高校|アイデンティティー崩壊

高校でもバレーボール部に入った。
公立高校だけど、関東大会に出場するような強豪校だった。
毎年夏、山梨に3泊4日の合宿に行く。
宿泊先のトイレットペーパーがお尻に合わず、合宿中に人生初の切れ痔になったことが何だかんだ一番記憶に残っている。
そんな部活は2年生の途中で辞めてしまった。
父親が仕事を休みがちになって家で酒を飲んで暴れることが続いて、頑張る余裕がなくなってしまったからだ。

その流れで受験勉強に突入。
予備校にも通わせてもらったけど、頑張りというか、踏ん張りが効かなくて結局志望の大学には受からなかった。
人生で初めて「宙ぶらりん」を経験した。自分がどこにも属さず、何者にも守られていない感覚を初めて味わった。

浪人生|10時間/日×365日

予備校に入った。
授業を含めて1日10時間の勉強生活。人生で一番勉強したんじゃないかと思う。

僕の勉強の原動力は父だった。
父がいまのように感情に身を任せて暴力的になってしまったのは「父親が勉強をしてこなかったから」だと考えていたからだ。
僕は父のようになりたくなくて、必死で勉強をした。

できないことをひとつずつなくしていく行為自体は楽しかった。
ゴールに向けて行動や思考を最適化していく経験ができたことは、僕自身の資産だと思う。

努力の甲斐あって、無事に希望の大学に入ることができた。
「トンビが鷹を産んだ」と言って喜んで滑稽に踊る父が憎かった。
なぜなら、浪人中の夏に父が会社を辞めたからだ。
見通しが立たないことに不安な気持ちでいっぱいだった。
学費はどうなる?弟は?母は?ショックで3日間勉強が手に付かなかった。予備校も休んだ。
勉強に集中したい時期に、阻害要因を作った父、それを棚上げして、自分の手柄のように喜ぶ父が許せなかった。

大学|緊張と弛緩

サークルには入らなかった、入れなかった

正直、大学のキラキラした感じが苦手だった。
サークルの新歓にはいくつか顔を出したけど、すごく見定められてる感じがして居心地が悪かった(自意識過剰w)
だから結局サークルには入らなかった。もちろんクラスで友達もできたけど、なんか心が許せている感じではなかった。

いま振り返ってみると、「確固たる自分」というものがなかったのかなと思う。
「自己肯定感」とも言い換えることができるけど、これが著しく低かった。

これは、幼少期の父親からの虐待の影響が大きい。
父親の機嫌を損ねると、怒鳴られる、殴られる。
これによって、失敗を極端に避ける特性を身に付けたと思う。
そのうえで、父親の機嫌を損なうタイミングは必ずしもこちらに非がある時だけとは限らなかった。
こちらに落ち度がない時にも怒鳴られる、殴られることがあった。
これによって、自分の行動に対して自信を持てなくなっていった(父親の誕生日に喜んでもらいたくて選んだカレンダーを目の前でゴミ箱に捨てられたこともあった)。

いまはこうやってある程度整理がついているけど、当時の僕には自分の心の中がまったくわからなかった。というよりは、わかっていないこと自体、わかっていなかった。
つまり、自分でさえうまく整理ができていない自分について、不特定多数の人にあれこれ詮索される環境を本能的に避けていたのだ。

居場所が見つかった!

授業以外の時間は、図書館で本を読んだり、飲食店や塾講師のバイトをしたりしてなんとなく時間を消費していた。
しかし大学3年生になると、大学が自分にとって居心地のいい場所になっていった。
きっかけはゼミに入ったことだった。

僕の通っていた大学では、3年生からゼミに入ることが必須になっていた。
教育学の専攻だったので、その中から国際比較教育学のゼミを選んだ。
ゼミの活動のなかで半期ごとに4~5人のグループでおこなう学年横断式のプロジェクトがあった。

その初めてのプロジェクトで同じグループになった先輩2人の虜になってしまった。
2人に共通していたのは、次の4つのこと。

  • 基本的に肩の力が抜けている
  • 何を言っても拾ってくれるし、些細なことでも褒めてくれる
  • 会話の8割はユーモア交じりのくだらない話だけど、残り2割で真面目な話もできる
  • マイノリティーの存在を無視しない

2人のもとでぬくぬくと過ごしているうちに、ゼミが自分の居場所になっていた
その先輩2人には結婚式でスピーチをお願いしたり、いまでも交流が続いている。

愛校心とか皆無だけど、
かけがえのない出会いの機会を提供してくれたことは心から感謝している。

社会人|It’s gonna be all right.

はじめての就職

新卒でブライダルの会社に入った。
入社理由は大きく3つ。
・いま振り返ると、潜在的に「まっとうな家族」に対して憧れがあった
・自己肯定感が低すぎて、採用面接に落ち続けるのに耐えきれなかった
・結婚式という失敗が許されない商品を通じて介在価値を高めたかった

約3年営業(いわゆるウェディングプランナー)を経験して本社の財務経理部門に異動となった。
異動の理由は、僕が会社に転職をほのめかしたからだ。

正直、過酷な労働環境に耐えられなくなっていた。
担当の結婚式がある日には、朝6時に出勤。結婚式終了後は担当の別のお客さんの打ち合わせ。
その打ち合わせが終わるのが22時。16時間の長時間労働の完成~(パチパチ)。
毎日レッドブルを飲んで頑張っていた。
でもそんな生活も長く続くはずはなく、心身に不調が現れだした。
常に頭に霧がかかったような感覚になり、思考がスローモーションになっていった。
次第に仕事のミスも増えていき、最後の方には自然と涙が出てくるように。

「これはやばいぞ」と思った。
会社が嫌いとかではなく、仕事自体にはすごく魅力を感じてはいたけど、「このままいくと取り返しのつかないことになる」と危機感をおぼえた。
3年目の夏に転職活動を開始した。
秋の評価面談のときに、転職活動中であることとその理由を会社にやんわりと伝えたら、異動の打診をしてくれた。

異動先は、おもに資金調達、資金管理などお金まわりを見る部署だった。
笑っちゃうんだけど、異動半年後に上司が横領でクビになった。
そこからは、銀行との交渉も含めひとりでやらせてもらった。
若くしてすごく貴重な経験をさせてもらったと思う。

妻との出会い

妻は会社の同期だった。
内定者時代からグループで飲みにいったりしていたけど、その時は特別な感情は抱いていなかった。

どこから意識し始めたか?

きっかけは競合見学だった。
どんな接客をしているのか勉強したくて近隣の会場に見学に行きたかった。
ニセ新郎ひとりで結婚式場を見学に行くのも怪しいので、妻にお願いして新婦として付いてきてもらうことになった。
見学前には、作戦会議。ニセ新郎新婦としての馴れ初めやプロポーズの言葉など入念にすり合わせする。
そんな見学を4、5回続けるうちに、脳が錯覚してしまったのかいつの間にか付き合うようになっていた。

付き合うなかで一番心地よかったのが、僕の感情に名前を付けてくれたことだ。
僕はこれまで自分の感情を押し殺して生きていた。
押し殺してというか、見て見ぬフリをして生きてきた。
そんな中で僕の言ったことに対して、「悲しかったんだね」とか「つらかったんだね」とか適切な感情を名付けてくれることからくる安堵感は、生きてきて初めての経験だった。

約2年の同棲を経て、2016年に入籍。

はじめての転職

結婚翌年に、売上1500億円規模の自動車部品メーカーへ転職。転職理由は次の3つ。
・メーカーの資金繰りを経験したくなった
・英語を使って仕事をしたくなった
・給料を上げたかった

その後、紆余曲折を経て、特別養子縁組を通して娘を迎える

移住と2度目の転職

2022年に東京から長野に移住をした。
移住の理由は大きく次の2つ。

  • 自然のなかで娘の個性や感性を尊重しながら子育てをしたかった(東京にいると、「~しちゃダメ」と言わなきゃいけない機会が多くなります)
  • 東京に疲れた(広告など目に入ってくる要らない情報が多い)

当時の会社は東京が勤務地で、長野からのフルリモートは認められていなかったため、フルリモートの金融系のベンチャーに転職。

転職失敗と「人生の夏休み」

転職したはいいものの、コントロールできない残業時間と上司と相性が合わず入社半年で退職。
いま振り返ると、過去のトラウマを思い起こさせる環境がありすぎた。

  • 体育会系、上意下達で一方的(✔一方的に父親に怒鳴られる、殴られる)
  • チームメンバーの悪口を当事者がいないなかで普通に言う(✔母への罵詈雑言、弟への「お前なんて産まれてこなければよかった」)

退職後は、改めて自分を見つめなおすために、すぐに次の仕事を探さずに自分がやりたいことをやった。(虫網を買ってトンボを捕まえたり、キャンプをしたり、釣りをしたり etc…)
そんななかで自分のトラウマの存在に気づいた。
幼少期の被虐待経験が自分のなかで消化しきれていないことを初めて知った。
自分のトラウマに向き合うために、カウンセリングに通った。
そのなかで、これまで自分で自分を認めてあげられていなかったことに気づいた。
そして、自分がこれまで繰り返してきた「生きづらくなるパターン」とそのボトルネックを発見することができた。ここらへんも記事にしていきたい。

人生で初めての「大人の夏休み」。
それ自体が、「~すべき」「~しなければならない」からの逃走だった。
自分の「~したい」に忠実に、他人にも自分にも寛容なゴキゲンな大人になっていきたい。

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